
2024.03.13
俺も新卒、お前も新卒、人はみな新卒、町はいま新卒の中、あの鐘を鳴らすのは新卒
自分の行動に責任が伴う、という当たり前のことを敢えて今日は語ってみようと思う。
これを読む人の中には、心理学を専攻していた人もいるかもしれない。哲学を専攻していた人もいるかもしれない。
文系学問は必要ない、などと言われて、就活をする中でその感を益々強め、自分の人生を後悔している人もいるかもしれない。
ここで考えてみる、哲学と心理学の違いとはなんだろう。
例えば、AとBの別れ道があったとしてどちらに行くべきか、30分悩んだとする。その末にAの道を選んだ時、その悩んだ30分は果たして20分、40分だったからと言ってBになったのだろうか?既にAという答えがあってその過程は一切答えに影響を及ぼさないのではないだろうか。Aに行くという予測をあえて外れ、Bの道を選んだとして既にBという答えがあったのかもしれないのだ。この宿命論的な物事を考えるのが哲学だと私は思う。
心理学はなぜAを30分悩んで選んだのか、なぜBを選ばずAを選んだのか、という結果に対し過去をもとに因果で測る。
どちらの考え方にせよ、人は結果と常に向き合わなければならない。
人生も、この二極でしかないと言っていい。
さて閑話休題。
あなた達は、そうして社会に踏み出すのである。今置かれた道がAだったとして、なぜ自分はBを選ばなかったのか。Aであった意味はなんなのか、その答えを問い続ければいい。人生はその連続が一本の線となって構成されている。
誰かが行動に対して肯定的、あるいは否定的なアドバイスを投げかけるやもしれぬ。
でも言った人は、起こった結果に対して基本責任をとらない。
起こした本人に責任が伴うのである。親にしろ教師にしろ上司にしろ、どうして責任を取ろうものか。
なぜなら、その結果は自分で決めたからである。後悔することも多い。死にたくなるような現実に直面するかもしれない。結果の責任は喜ばしいものであれ、悲しきものであれ、あなたに降りかかる。
それでも、人は生きなければならない。
宿命論に抗ってこそ生命は輝くのだと私は思うから。
現状維持を選び続ける宿命論なんて、クソ喰らえと言ってやろう。
常に過去の自分を乗り越えよう。
その道程の切符は、哲学的思考であれ心理学的思考であれ構わない。どちらにせよ、その切符はあなたの人生を彩ってくれる結果を引き起こすに違いないのだ。
いま私は私の紡ぐ言葉を恥ずかしげも無く、話せる。
なぜならAとBの分かれ道について初めて思い至ったのは、好きな女の子に会いに行くため夜中家を飛び出そうか迷った果てに、飛び出した後、親にこっぴどく叱られた淡い高校時代だったからである。
何としょうもない人生だったろう、あの頃は毎日が輝いていた気でいたが。
でも今は違う。もっと大きな人生の分岐点や、仕事における重大な決定の後、AとBの分かれ道について考えるのである。
振り返った時、自分の足跡を見て幾分か肯定できる日が来る。
それを信じて、一歩踏み出そうじゃないか。
そうして私は今日も仕事をほっぽりだして、好きな女の子の家に走り出すのだった。
これを読む人の中には、心理学を専攻していた人もいるかもしれない。哲学を専攻していた人もいるかもしれない。
文系学問は必要ない、などと言われて、就活をする中でその感を益々強め、自分の人生を後悔している人もいるかもしれない。
ここで考えてみる、哲学と心理学の違いとはなんだろう。
例えば、AとBの別れ道があったとしてどちらに行くべきか、30分悩んだとする。その末にAの道を選んだ時、その悩んだ30分は果たして20分、40分だったからと言ってBになったのだろうか?既にAという答えがあってその過程は一切答えに影響を及ぼさないのではないだろうか。Aに行くという予測をあえて外れ、Bの道を選んだとして既にBという答えがあったのかもしれないのだ。この宿命論的な物事を考えるのが哲学だと私は思う。
心理学はなぜAを30分悩んで選んだのか、なぜBを選ばずAを選んだのか、という結果に対し過去をもとに因果で測る。
どちらの考え方にせよ、人は結果と常に向き合わなければならない。
人生も、この二極でしかないと言っていい。
さて閑話休題。
あなた達は、そうして社会に踏み出すのである。今置かれた道がAだったとして、なぜ自分はBを選ばなかったのか。Aであった意味はなんなのか、その答えを問い続ければいい。人生はその連続が一本の線となって構成されている。
誰かが行動に対して肯定的、あるいは否定的なアドバイスを投げかけるやもしれぬ。
でも言った人は、起こった結果に対して基本責任をとらない。
起こした本人に責任が伴うのである。親にしろ教師にしろ上司にしろ、どうして責任を取ろうものか。
なぜなら、その結果は自分で決めたからである。後悔することも多い。死にたくなるような現実に直面するかもしれない。結果の責任は喜ばしいものであれ、悲しきものであれ、あなたに降りかかる。
それでも、人は生きなければならない。
宿命論に抗ってこそ生命は輝くのだと私は思うから。
現状維持を選び続ける宿命論なんて、クソ喰らえと言ってやろう。
常に過去の自分を乗り越えよう。
その道程の切符は、哲学的思考であれ心理学的思考であれ構わない。どちらにせよ、その切符はあなたの人生を彩ってくれる結果を引き起こすに違いないのだ。
いま私は私の紡ぐ言葉を恥ずかしげも無く、話せる。
なぜならAとBの分かれ道について初めて思い至ったのは、好きな女の子に会いに行くため夜中家を飛び出そうか迷った果てに、飛び出した後、親にこっぴどく叱られた淡い高校時代だったからである。
何としょうもない人生だったろう、あの頃は毎日が輝いていた気でいたが。
でも今は違う。もっと大きな人生の分岐点や、仕事における重大な決定の後、AとBの分かれ道について考えるのである。
振り返った時、自分の足跡を見て幾分か肯定できる日が来る。
それを信じて、一歩踏み出そうじゃないか。
そうして私は今日も仕事をほっぽりだして、好きな女の子の家に走り出すのだった。
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